泉輪 平成22年5月



思いひとしお


過日、四月十九日から二十五日まで宗祖法然上人の第七九九回御忌法要(ぎょきほうよう)(※法然上人御命日法要) を勤めさせて頂く為、京都の本山光明寺に行かせて頂きました。

法然上人の「み教え」は変わる事無く、脈々と現在に受け継がれ、人間のあるべき姿の鏡となっております。また、お浄土の法然上人の御霊(みたま)は阿弥陀様と共に、私どもを絶え間なくお見守り下さっておられます。

そして今、自分が泉福寺の住職となり、微力ながらその「み教え」を守り、布教精進致しているところでございます。


私事でございますが、長男が四月で小学六年生になり、前々から約束致しておりましたとおり、私が毎朝致しております、「朝の勤行(お勤め)」を長男にもさせることと致しました。

他寺では、物心ついた時分よりされているお寺様もあり、そういうお寺様では長男と同じ年齢でもかなりのお経や作法の習得に加え、法要経験も積んで、ある程度のことが出来るようになっています。

ただ私の場合、幼少時分は自分がお寺に生まれお寺のことを押し付けられてさせられていると、当時は愚かにもそういう考えしかなく、嫌で嫌で仕方が無かったものです。


ですから、自分の子供には私のような愚かな考えを懐かせぬようにする為に、人の心の痛み、悲しみが自分の事と同等に受け止められるように心身がある程度成長してからさせたいと思っておりましたので、丁度今のタイミングだと思っております。

また、今の自分があるのは仏様のお導きがあってこそと思えることが出来たら、実際には子供ですからそこまで痛感することは無いにせよ、痛感する兆しでも出来たら、やり通す自分の意思が明確に持てるのではないかと思っておりました。来年は、次男に、更には三男に継承させねばなりません。


まだ教え込むにはかなりの時間を要しますが、それでも長男の姿を見れば、法然上人から受け継がれた「み教え」のレールが長男まで続いていたかと思うと思いはひとしおです。

思いひとしおの「ひとしお」とは漢字で「一入」と書きます。もともとは染め物で使われていた言葉で、「ひとしお」の「しお」は染め物を染料につける回数単位のことです。「ひとしお」は染料に一回浸す意となり、また、二回つけることは「再入(ふたしお)」、何回も色濃く染め上げることは「八入(やしお)」「百入(ももしお)」「千入(ちしお)」「八千入(やちしお)」と言います。


一回つける毎に色が濃くなり鮮やかさが増すことから、「ひとしお」は「ひと際(きわ)」などと意味を同する言葉として平安時代頃から用いられるようになりました

長男にも、四月一日から一入(ひとしお)、再入(ふたしお)と、つたない読経ながらも積み重ね、本人にはまだ感じることの出来ないくらいの小さな仏心の芽が育まれていることでしょう。  

この先、人生同様、仏門修行に於いては、挫折や嫌気、といった本人の想像以上に大きな壁が立ちふさがることでしょうが、


皆様からお預かり致しております御先祖様を御供養致し、代々継承してきた威徳の歴代住職に恥じぬよう次世代伝承に努めたいと改めて思っている所存でございます。

 長男本人も、今年の春のこの一瞬が仏門初心で、例えこの先困難が訪れようとも、いつでも仏門原点に立ち返り、今のこの時を思い出すことが出来れば、乗り越えられるのではないかと思っております。どうぞ、皆々様も小さな僧の成長をお見守り頂き、お導き下されば幸いです。

  合掌               輝空談