真の幸
平成二十二年が終わろうと致しております。年の暮れが年々早く訪れてくるように思うのは、私だけではないことでしょう。
この一年を振り返り、私事ですが、今現在、宗務の役職を持ち、もう六年目になりました。その役職の会議で本山や他寺などに行く機会が多く、その度に多くの諸先輩方や有識者との出会いがございます。
役を持つことは何かにつけて負担を伴い、且つ責任の重圧に絶えず緊張致します。それでも、その多忙極まりない中での出会いは、何にも替えがたい人生の勉強になります。
会議前になりますと自分の物差しで自分なりに考え、予測し会議に臨みますが、その度に自分よりもはるかに思慮深く物事を考え、洞察している方や勉強されている方とお会いし、自分の器のなさを感じさせられます。
そんな中で一つ一つ学び得た事を糧とし、愚僧なりに小さな年輪を刻んだ一年であったと思っております。
やはり、人間は人間同士の関わりの中でしか成長できません。だからこそ、どのような一日でも、その中でかけがえのない経験をし、人生の財産を積んでいるのです。
しかし、普段の生活は余りに平凡過ぎ、些細で小さな心の宝はなかなか気づかず、見逃してしまいがちです。
それに引き換え、他人との比較から生じる妬み、自分の思うようにならない他人への怒り、はたまた自分だけを哀れむ悲しみはすぐに生まれ、感情のバロメータを簡単に上げる事が出来ます。
それぐらい人間は自分の今の幸せは見落とし、負のエネルギーの方に心奪われやすいのです。時に考え方を変えて、自分は後、一週間しか生きられないと想像してみて下さい。時間をこの上なく大切にし、全ての出来事を胸に焼き付けておきたいと心研ぎ澄ますことでしょう。
と言うことは、そのように普段から生活すれば何でも見えていいのかということになります。
いえいえ、そんな生活では神経がぴりぴりしていて、心休まるときはないでしょう。
されど慌ただしい中ででも、心のどこかに人間は些細な幸せをいつも見落としがちなんだと心に留めておけば、いつか、思いもよらぬ角度で心に突き刺さる幸せを感じることが出来るのです。そして付け加えれば、普段から苦から逃げず、耐えているからこそ、そのご褒美に真の幸を学び得るといえます。
望むとも望まざるとも、絶えず訪れる人との関わりの中に幸せを感じ取る新しいアンテナを立てることは、ただ自分の心がけだけがスイッチになります。
それに気づけば、自分の人生が如何に多くの幸深きことかを知り、その幸に出会えたお導きに感謝し、自然と誰もが南無阿弥陀仏とお念仏することでしょう。
尽きる思いは、自分以外の人が周りにいるからこそ自分らしく生かさせて頂いている仏縁に感謝念仏のみで ございます。
合掌 輝空談