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| 愚僧、私のことでございます。付け加えますと、御先祖様のお位 牌にも「空」の文字が付いております。これは、我が宗派「西山浄土宗の勤めに励み、心の修行をしました、という証です。私が仏門に入り、最初に阿弥陀様の前で、生涯お勤め致しますと誓った証に頂いた空号が「輝空」です。 |
| 西方浄土の教えから、西を向いて拝む事を善しとし、西を背に お仏壇を置き、仏様が東を向く事が故事に法った形になります。しかし、現実の家庭環境や住宅事情から、
すべてそう出来ないので、むしろ形にこだわらず、心で西方浄土を描き、お念仏して頂ければ結構かと存じます。 |
| 他宗派では、本数や立て方、折り方、寝かせ方等、決まりのあるところもありますが、当山の西山浄土宗は、取り立てて決まりはありません。但し、地域性による考えにより、異なる事があるようです。お線香の形にとらわれず、お参りする行為そのものが大切かと存じます。 |
本堂の中央にございますものを、人天蓋(にんてんがい)と申します。それに似たものが、ご本尊(阿弥陀様)そばにございますが、それを仏天蓋(ぶってんがい)と申します。 天蓋とは見た目の通り「傘」 現在でも、本山などの大法要などお坊さんがたくさん集まって行う法要では、お導師様(法要の主役のお坊さん)の頭上に、赤い大きな傘が差しかけられて行列致します。その傘がお寺内部のご本尊様(阿弥陀様)をお守りする意味の名残が天蓋として残っております。
本堂の中でも、住職がご本尊様を拝むところで一段高くなっているところを内陣(ないじん)、その手前を下陣(げじん)といって区別しています。たいていのお寺では、この内陣の天井に楕円形の傘が吊るしてあります。これが仏天蓋です。 また、内陣の仏天蓋両脇の柱のように細長いものを「幢幡 (どうばん) 」と申し、字のとおりこれは幡のことです、幡とは旗印の意で、ここにご本尊様がいらっしゃいますという印と同時に、智恵の幡のもと、あらゆる煩悩の魔の手を打ち破る、という象徴として掲げられています。それらほとんどが木製で金色をしておりますが、もとは布製できらびやかな飾りがありました。現在でも布製の幢幡をかけている寺院もあります。 更に何故、金色なのかは、金はこの世に存在する金属の中で変質しないで、いつまでもその輝きを持続する性質から、永遠に不滅で不変である「仏の教え」の象徴として金色を多用しているのです。 |
お参り頂き有り難く思います。ご先祖様もさぞやお慶びのことと思います。お布施は、私愚僧が頂くお金(財施)もさることながら、お参り頂く行為行動も既にお布施の一つなのです。
そこで、布施(無財の七施)をご紹介致しましょう。
これら七つの布施は、財産に関係なくいつでもどこでも、そして誰にでも行える布施です。 また、法事の席に招き招かれご先祖様供養する行為自体、七つの布施を施すに値し、何よりもありがたいことです。ご質問にお答えするならば、七施終えたあなた様の喜びのお顔を拝顔したいので、お経が終わる頃合にて、私にお声掛け下さればと存じます。 |
「ほうじょう」とは「方丈」と書きます。
インドの維摩居士の居室が一丈四方(四畳半ほどの広さ)であったという故事から、寺の住職の居室(庫裏)を指し、また、住職自信の俗称にもなりました。 ちなみに、よく使う「坊主(ぼうず)」という言葉の由来は、「坊」とは独立した建物の意で、大きな寺院では、中にいくつかの小さなお寺(坊)があった為、その各々の主が「坊主(ぼうず)」となります。 更に宗派によっても、呼び方は違います。たとえば、
一方、「和尚(おしょう)」という呼称ですが、日本では天平宝字2年(758年)に渡来した鑑真(がんじん)に対して、「大和尚(だいわじょう)」の号が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に一般的に僧侶への敬称として和尚(おしょう)と呼ばれるようになりました。 更に、一般的に「和尚(おしょう)」と使う宗派は、禅宗(曹洞宗・臨済宗)です。 天台宗は、同じ「和尚」という字を書いて「かしょう」と呼びます。 西山浄土宗では、檀家様から「和尚(おしょう)さん」と呼ばれることが多いですが、お寺様同士の呼び方は「方丈(ほうじょう)さん」と言いますし、高僧のお戒名は「○○大和尚(だいわじょう)」と使います。 追伸 住職の奥さんは、「坊守(ぼうもり)」と呼ばれ、庫裏の中一切の切り盛りし、住職の布教修行以外の全ての雑事を賄う意味があります。 聞きなれぬ、呼びなれぬ「方丈さん」よりいつもの呼び名でお声かけ下さい。 |
泉福寺ではお盆の時分に灰のお手入れを致します。線香を立ててお参りを続けるうちに、線香の燃えカスや湿気による灰の塊が出来ます。それを年に1度篩(ふる)い、灰の不純物を取り除き綺麗に致します。 と、申しましてもこれは家内の仕事で私は監視役でございますが。 灰のお手入れ方法は、「奥さん奮闘記」をご覧下さい。 お盆が参りますので、皆様もお仏壇を掃除し、今年は灰のお手入れもしてみましょう。 |
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このところ大変よくある質問です。この質問に併せて、お寺への謝礼の書き方は何と書きますか?と言うご質問もたくさん頂戴致しておりますので、併せて認めさせて頂きます。 まず、お寺への謝礼の際は全て「お布施」でございます。御葬儀、御法事、お寺の年間法要に至るまで全てが「お布施」でございます。時にお膳代やお車代等個別に記入される例もございますが、それらも全てお布施の中に当てはまります。
ご質問のご回答をお調べ致しましたところ、葬儀やご法事で金品のやり取りが行われるようになったのは明治頃かららしく、それまではお金ではなく「お米や野菜」などの食材を喪家に持ち寄ることが多かったそうです。勿論その時代は葬儀社さんも無ければ仕出し屋さんも無いので、同じ集落で助け合い、故人を弔うというのが一般的だったのでしょう。 それが明治を過ぎると「お金」を包むことが普通になったようです。その頃はお金であれ、お米であれ全て昔は「御香奠」と記され、今の「御香典」に値致しております。
香奠・香典とは、「お香を供える」という意味で、明治前の当時の高貴な人や上流階級の人が香を仏前に手向けたとされておりますが、一般市民にも仏教が浸透してくると、その名残を残し香奠・香典と言う言葉の元「お金を包む」という風習が定着したようです。 つまり御香典は、経済的にも精神的にも落ち込んだ遺族に対して、村同士での助け合いの精神から生まれた文化といえるでしょう。 その後、人々の智慧で同じお金を包むでも、まだ御遺体がある御葬儀と、御遺骨になった御葬儀後を区別したり、宗派の教義の違いは有るもの仏様になられる前と後を恭しく崇める気配りの心が、御霊前と御仏前の違いを作ったようです。 今では、御遺体のあるお通夜、御葬儀が御霊前、その後を御仏前とする事が多いようですが、それでも地域の風習や土着信仰により違いが大いに有ります。何はともあれ弔い喪家の悲しみを痛む心があれば全て由かと存じます。 |
以前「いずみ」で認めたことがございますが、坊主の坊とはお寺の 個々の建物のことで、そこの主を坊主と呼び、今の住職と同じ意味に なります。その僧侶の髪型が坊主頭と言う訳です。 その昔、仏教をお開きになられた釈尊(しゃくそん・お釈迦様)は得度(とくど・出家し仏門に入ること)の際は、剃髪(ていはつ・髪を剃り落すこと)することを定めました。剃髪することにより装飾美を無くし、煩悩を捨てると共に、外見から見ても僧侶であることを知らしめるという意味がありました。 そもそも古来から人間は、男性が髪型で権力を強調し、女性は美の象徴であったりと目で見て分かる人間の煩悩の表現をしていました。今現在でもその精神は変わらず、個性の表現としてあらゆる髪形がございます。 それ故、仏教では髪の毛に関わらず、体毛は「煩悩」に喩えられてきました。剃っても剃っても生え伸びる様子が、私達の中に沸き上がり、消そうとしても消えない煩悩と同じであると諭したのです。 僧侶は御仏の教えに従い、修行するものであり、釈尊の時代から剃髪は修行の一貫であります。愚僧、私も釈尊の時代から続く修行に背くことなく、煩悩の象徴である髪を剃り、常に初心を忘れずにと心がけ坊主頭にしております。 それでも今は有髪僧(髪を伸ばした僧侶)が居るのも事実ですが、姿にとらわれずお釈迦様の教えを学ぶ精神がまずは一番肝心かと存じます。 ご葬儀の中でも、故人様が仏弟子になられたお印に、髪そり(儀式用にて刃は付いておりません)にて、故人様の髪を剃る作法で髪そりを手向けます。これも仏様と故人様の変わらぬ絆を結んだ証です。 ちなみに私の息子3人も坊主頭にしておりますが、子供達はバスケットをしている為、NBA(アメリカプロバスケットボール)の選手のスキンヘッドを真似ているらしく、お釈迦様の御教えとは程遠いものです。 (苦笑 |
泉福寺梵鐘(県文化財)のお話を致します。 昔々(西暦1400年以前)中国大陸から日本に運ばれる鐘を乗せた船が沈没し、鐘もろ共、海の底に沈みました。鐘崎沖は古くから航海の難所として知られていましたが、以来その付近を通ると多くの船が沈没するようになったものですから、鐘の祟りだと恐れ、当時の人々が鐘を引き上げようと何度も試みました。中でも、室町時代に宗像大宮司家代第75代領主・宗像興氏(おきうじ)は、捜索の末、鐘を発見し龍頭(鐘を吊るす部分)に綱を結びつけ引き上げようとしましたが、嵐となり海が荒れ狂った為「海神の祟りであろう」として引き上げを断念しました。 また江戸時代には筑前藩主・黒田長政が引き上げを試み、この時は龍頭だけが鐘の本体からちぎれて引き上げられたということです。 一部分だけ引き上げることが出来たその鐘を基に、寛文4年(1664)当山泉福寺の第八世照空上人が、梵鐘の鋳造を発願し、有志より浄財の喜捨を受けると同時に、寛文5年8月に即非禅師(そくひぜんじ→江戸時代前期中国の明から隠元に招かれて来日し、能書家とし知られ、詩も善くし、日本の文人画のさきがけとされる。)を訪れ、沈鐘伝説の銘文を請い、発願より8年後の寛文12年(1672)4月に鐘は完成し、その梵鐘の「池の間」周囲に銘文が刻されました。 この「沈鐘伝説」があるこのあたりを鐘の沈んだ岬にて、鐘崎と申すようになりました。 泉福寺梵鐘の銘文はこちらからご覧になれます。 |
お斎(おとき)や精進落としの食事はどうしたら良いのですか? |
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遥か彼方から脈々と続くご先祖様の遺徳が眠る終(つい)の霊廟を背(はい)し、いつもお見守り下さる阿弥陀様の前で仏弟子になるべく引導を受けることの出来る泉福寺本堂でのご葬儀は、何よりも仏心深く、妙境の地かと存じます。 但し、ご指摘の通り、当山では食事が確かに出来ません。水屋の設備が整っておりませんし、お通夜からのご利用ですと寝具のご用意も出来ません。ただ、お寺の目の前が千代川区の公民館でございます。その公民館を食事処、寝間としてご利用されている方が多いようです。 本堂にしろ、公民館にしろ、公共性のある建物ですので、大切にお使い下さることをお願いし、その他本堂ご使用に関するご質問がございましたら、お寺までご一報下さればと存じます。 |
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朝はどのご家庭でも慌ただしくお過ごしでしょう。 が、しかし、まずはNHK連続テレビ小説「おひさま」を見て、一休み一休み。そして、エンディングと同時に動き始めます。 このほうき目ですが、枯山水の多くは、砂敷を使い海に見立てたり、陸に見立てたりします。白砂敷は、堂々たる石に対して静寂なたたずまいを演出すると教えて頂きました。 砂紋を描くことによって、庭に重厚感を与えるとともに、石組の表情をダイナミックに見せることができるとのことです。。 お寺の境内では、枯山水の趣を残し、境内地という俗世と仏門の境界を表すために、一糸乱れぬほうき目を入れることで、妙境の悟りを表しております。 しかし、実際の泉福寺では、子供が鬼ごっこをして走り回り、飼い犬がどこで貰ったのか、パンの耳を嬉しそうに穴埋めしております。 それでも、毎日日課としてほうき目を入れる際は、若かりし頃の本山修行の一環でさせて頂いたほうき目を入れるあの気持ちで今もさせて頂いております。 家内は、庫裡、本堂と掃除をしているようですが、流れはあまり知りません。というより、知ればまた私の掃除分が増えるような気がするので、当たらず障らず互いの分担をわきまえております。 ただ、人間何か楽に掃除が出来るものはないか、日頃の買い物でも、便利な掃除グッズがないか模索し、特にテレビショッピングは何度騙されても魅力を感じる品が放映されるたびに、買いたい衝動に駆られます。それでも、行き着くそうじ道具は、結局埃取と掃除機に雑巾です。 僧侶の修業は1に掃除、2に勤行(念仏)とされております。ひたすら掃除は終わりのない修行です。。 そんな奮闘生活で皆様に決して褒められる様なお寺環境ではございませんが、
1に掃除、2に勤行(念仏)の精神で理想に近づけるように、日々精進してまいりたいと存じます。
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仏様に申し訳ない気持ちと、阿弥陀様がお怒りになり、孫をせっかんされるのではないかと 気が気ではなく、早く掛け軸を何とかしたい のですが、どうすればいいのかご相談致します。 |
仏壇の阿弥陀様軸のお話は、後で致すとしまして、最初に阿弥陀様のお叱りについてお話致します。 阿弥陀様は我々俗物をお守りお救いになる仏様です。そのお慈悲深い仏様が、一人の人間の行いに災いをもたらすことはございません。 さて、破れた阿弥陀仏軸の方でございますが、破れ具合によっては、仏具屋(仏壇店)で修復も可能かと思いますが、今回の場合は千切れてしまわれましたので、新しく購入するしかございません。購入は親しい仏具屋(仏壇店)でご購入下さい。
購入後でございますが、阿弥陀様の魂は破れたとはいえ、まだ古い掛け軸の中にそのまま残っております。それ故、魂を抜き、新しい掛け軸に入魂(にゅうこん)させて頂かなければいけません。その為に、新しいお軸と古いお軸を両方ご供養することとなります。お仏壇の前ですることが望ましいですが、お寺にご持参して頂き、本堂でお勤めも出来ます。 阿弥陀様は、像や軸そのものの物体として捉えるのではなく、目に見えない光明をもたらすお力が阿弥陀様の真髄です。ですから、入魂してお浄土に座しておられる阿弥陀様とご自身のお仏壇の阿弥陀様とを心繋がねばなりません。入魂する法要を「開眼供養(かいげんくよう)」と申します。これは大切な法要ですし、その法要に出会える縁は、とても有難い縁と言えます。新しいお軸に入魂が済みましたら、古いお軸はお寺にてお焚きあげ供養をさせて頂きます。 お軸意外に開眼供養が必要な場合は、お仏壇を新しく購入された場合や阿弥陀仏の購入、お位牌の購入、さらにお仏壇の移動の際にこの法要が行われます。 その他些細なご質問でも構いませんので、何かございましたらお寺までご一報下さい。 |
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お位牌のあれこれについてお話致します。 故人様お一人に際して、最初に用いられるお位牌が「白木位牌(@図)」でございます。葬儀から、49日法要を目安にお祀り致します。そもそも「白木位牌」は予期せぬ故人様の突然の訃報に際し、すぐに葬儀を営まねばならず、取り急ぎ用意した一度きりの仮位牌なのです。 あくまでも仮位牌ですから、木の材質は高価な木や細工の華美なものは用いません。よって、基本は長い年月お仏壇の中にお祀り致しません。49日法要や遅くとも百ヶ日法要までには、塗位牌をご用意して頂ければと存じます。 塗位牌は大きく分けて、故人様お一人の塗位牌(白木位牌のような形で、黒塗りや金箔が施されているものA図)や繰り出し位牌(B図)がございます。 A図の一霊型の場合は、個別にお祀りし、一目でどの故人様のお位牌かわかりやすい反面、数霊お祀りするには限られたお仏壇スペースでは手狭になります。 逆にB図の繰り出し位牌は、八霊から多い物で二十霊を一つにまとめることができ場所をとりません。ただし個々のお戒名が見えないため、法要の際には必要なお札を入れ替える必要がございます。 更に、お家が歴史古く、かなりの御霊をお祀りしている場合は、繰り出し位牌といえども複数個ご用意しないといけない場合がございます。
当山の宗派・西山浄土宗では、塗位牌は五十回忌までお祀りし、それを過ぎましたならば、○○家先祖累代として、ひとくくりにすると致しております。ただし、それでは俗名やお戒名が分からなくなる為、位牌の記載情報を図Cの過去帳に書き写しお仏壇内でお祀り致します。 ![]() (C図)過去帳 あくまで、上記は基本司祀方法ですから、地域やご家庭の風習で若干の違いがございます。ご不明な点がございましたら、お寺までご連絡下さい。 11月といえばお十夜法要ですし、翌月には暮れも迎えるため、これを機に一度お仏壇内を整理してみてはいかがでしょうか。不要な古いお札がある等、手狭になったお仏壇内を整理し、溢れた物で仏様を塞いでいることなどないように、ご確認下さればと存じます。 |
住職の職に就き長いものの、除夜の鐘を正式には何時に撞くのかと問われ てみれば、良くわからず、除夜の鐘を撞いている他寺に色々聞いてみましたところ、回答は様々で、
数も絶対に108つまで、と決めているところもあれば、108つ超えても全員撞かせるというところもあります。泉福寺も後者の方法をとっておりまして、御参詣下さった方全員が撞かれ、本年の感謝と明年の祈願を致します。 意外にも鐘の音はかなり遠くまで聞こえるようで、上八の交差点でもはっきりと聞こえるようです。 |

お問い合わせがありましたら、お気軽にどうぞ






どちらでもかまいません。本来は、自宅でお参りをし、納骨堂もしくはお墓にお参りするのが一般的です。
自宅の法要と変わりません。


のことです。仏教発祥地の古来インドの生活では、雨よけ日よけはもちろんのこと、その他、上から落ちてくるものから、僧侶の身を守るために傘が使われておりました。


ここまで語ればお寺が塵ひとつないピカピカのお寺のようですが、実際は三男の破った障子は張り替えままならず、子供の手垢の付いた窓ガラス、真っ黒い靴下で帰ってくる子供たち、特に三男に於いてはどこで遊んだのか泥だらけの上に、ずぶ濡れ、もちろん家内の怒鳴り声は必ずアクセントです。



